芸能人が『鬱で自殺』なんていうニュースを最近、耳にしますよね。
そのニュースを聞いて、大半の人がこう思うんじゃないでしょうか。
「え!?いつも明るいあの人が!」
私の周りにも重度の鬱にかかった子もいるし、鬱症状を克服した人もいます。
そして、私自身も鬱にかかったことがあります。
今、この記事を読んでる方は私がどういう人物か知らないですよね。
自分で言うのもなんだけど、結構すぐに友達ができるタイプです。
旦那の愚痴とかをポロッと漏らすと「たまもりちゃん、いつも楽しそうで幸せそうなのにそんな不満もあるんだね」なんて言われることもあります。
私が思うに鬱になる人は、人に不快感を与えないよう、気持ちが乗らない時でも笑顔で振る舞ったり、人に気使う人が多いと思います。
そして真面目で一直線だから、何か嫌なことがあった時には相手のせいではなく『自分のせい』だと背負いこんでしまう。
悪く言うと、人にペースを乱される八方美人で不器用な人。
でも、私はこんな人が好きだったりするので、仲良くなる子は鬱になってしまったり、鬱経験者なんてことも多いです。
現在、鬱っぽい症状の子もいて心配でたまりません。
そこで、私の経験談と共に『病院に行かず鬱を克服した方法』をご紹介します。
あくまでも私の体験であって、鬱の症状やレベルによっては全く逆効果になってしまうかもしれません。
自分が鬱だと認めるのも抵抗があるし、ましてや家族にも恋人にも言いづらいことですよね。
外傷のように目に見えるものではないので、自分自身も鬱なのかどうなのかわからなくても不思議ではありません。
「そんな事例もあるのね」くらいの気持ちで読んでいただき、気持ちが少しでも前向きになったり、今のそこはかとない苦しい気持ちが少しでも楽になったら幸いです。
この症状もしかしたら鬱かも?
「うつ病の症状」は、「抑うつ気分」「興味・喜びの喪失」「食欲減退、体重減少」「睡眠障害」「焦燥感」「無価値観」「集中力の減退」「自殺念慮」などです。
しかし、実際、具合が悪いうつ病の患者さんが、自分自身を客観的に観察して、うつを正しく自己診断することは困難です。
とはいえ、うつかどうか心配でしょうから、誰もが簡単にできる「自己診断」を紹介します。以下の2つの質問に、当てはまりますか?
□ この1ヵ月間、気分が沈んだり、憂うつな気持ちになったりすることがよくありましたか?
□ この1ヵ月間、どうも物事に対して興味が湧かない、あるいは、心から楽しめない感じがよくありましたか?
「この1ヵ月間」と「よくある」かどうかが重要です。「よくある」というのは、「ほぼ毎日のようにある」という意味です。2つの質問のうち、1つ当てはまるとうつ病の可能性があり、両方が当てはまると、うつ病の可能性が約88%となりますので、精神科を受診して、専門的な診断を受けたほうがよいでしょう。
鬱なのか、ただ一時的にやる気が起こらないのか。
上記は『鬱かもしれない』という一つの目安で、心療内科を受診するかどうかの判断材料になります。
実は鬱かそうじゃないかは、血液の数値でわかるものなんです。
鬱になるとセロトニンが低下します。
セロトニンの数値が正常なら、鬱ではないと言って良いかもしれません。
私の鬱症状
私の場合、自殺未遂をしたり、人を身体的に傷つける超重度の症状はありませんでした。
鬱症状は波があると言いますが、私の場合『すごく落ちてるな』と思う症状が2回。
気分が落ち込んでると感じる、中度な症状は度々ありました。
中度の時もネガティブな感情が現れましたが、何も手がつけられないということはなかったです。
『すごく落ちてるな』時の症状はこんな感じでした。
鬱症状1回目(すごく落ちてる時)
毎日涙が止まらなくて何をするのも面倒でした。
お風呂に入るのも面倒で、お風呂に入る時間が遅くなったり、旦那が出張の時はお風呂に入らず寝たこともあります。(旦那は毎日お風呂に入らないなんて汚い!と言う人)
そして、訳もわからず苦しくて、『この苦しみから抜け出せるなら』と心療内科を受診しました。
心療内科では『鬱』と診断されお薬を大量に渡されましたが、その時の診察時に疑念を抱いたのと、薬を飲み続けることに怖さを感じ、薬は飲まずに捨てました。(私が思う病院に通わない方が良いと思った理由は後ほど)
当時私は専業主婦だったので、家族のご飯作り、洗濯、子供の習い事の送り迎えなどはこなしていたけれど、自分ひとりのご飯や他のことはあまりやる気になれなかったです。
友達とランチに行くこともあったけど、泣いてしまうこともあったり、暗い話ばかり。
ちゃんと笑えてたかな?と、今あの時を振り返ると思いますが、当時はそんな気を使う余裕もなくなってました。
鬱症状2回目(すごく落ちてる時)
平日は子供や旦那の学校、仕事などで『何時に起きてこれをやらなやいけない』があるから、動けていたけど、土日は時間軸が決まっていないのもあり、やる気が起きなかった。
朝はまだ動けるけけど、お昼ご飯を食べたあたりからは何もする気がしない。
夕方になるにつれ、晩御飯作らなきゃいけないのに作りたくない。
だけど作らなきゃいけないの葛藤と、もう何もかも忘れて楽になりたいという気持ちが現れてました。
家族には『晩御飯どこか食べに行ってくれる』と言う日が多かったです。
で、自分はワインを飲み出す。
平常時なら何かおつまみを食べながらワインを飲むけど、食欲もないしワインだけを飲んでた。
家族はそんなに外食が好きじゃない(というよりも出るのがめんどくさいタイプのインドア派)から、『食べに行って』と言っても、家にあるものを温めて夕飯を食べる時もありました。
その横でワイン飲んでる私の姿を見た娘や旦那が「何か食べないとお腹減るよ。これ美味しいよ。あげる」と話しかけてくる。
自分の仕事を放棄して、自分の何倍も年下の娘たちに心配かけているのが情けなくて、また涙が出る。
他にも、旦那に少しでもきついことを言われると、呼吸困難なりながら泣いてました。
この時、お酒には頼ったけど、薬には頼らず。
中度の時の鬱症状
自分のやるべきことはしていたし、友達とランチに行ったり、習い事にも行っていたけど感情の起伏が激しかったです。
イライラしたり、突然悲しくなって泣いたり、家族や周りにあまり興味が持てなくて会話も少なかったかも。
鬱時の普段の様子
普段はやらなきゃいけないこともこなせるし、何か食べたい、したい、欲しい、などの意欲もあり、睡眠も十分にとれていて、鬱症状は感じられなかったです。
だけど、常に『自分は生きてる意味あるのかな』とか『あの人はこんなにいろんなことが出来るのに私は何もできない』と自己肯定感は低かったです。
楽しいと感じることも、美味しいと感じることも、嬉しいと感じることもあるし、涙までは出ないけど居場所がない感じは常にありました。
私が病院に通わなかった理由
私が病院に行こうと思ったのは鬱を自覚したからではなく、『この苦しみを止められる薬があるなら飲みたい』という気持ちで行きました。
突発的だったので、どこの病院が良いなど調べて行ったわけではなく、近所にある心療内科に行きました。
その病院はすごく混んでいて、予約なしでは診てもらえませんでした。
「今日診てもらえるところはありませんか?」と聞き、違う病院を紹介してもらいました。
そこは総合病院で、比較的空いていてその日に診てもらうことが出来ました。
何年も前のことで詳しい診察内容は忘れたけど、男の先生に症状を言い、家族の話もしたかな?
とにかく、問診だけで『鬱』という診断が下されました。
鬱はセロトニンの数値でわかるらしいので、血液検査か何かすると思ったら問診だけ。
その後、女性のカウンセラーの方とお話をした。
その時は、自分の今の状況や心情を話したんじゃないかな。
そして、カウンセラーからは薬の説明と冊子をもらいました。
その冊子には『薬を飲み続けなければいけないこと』『状態が悪くなったとしても薬を飲み続けること』が書いてた。
それ見て怖くなったのと、問診とカウンセリングだけで『鬱』と判断されたことがひっかかりました。
病院から帰ったら出張戻りの旦那がいて、心療内科に行ったことや薬をもらったことを話しました。
旦那は「薬は飲むな。お前は俺がハグしたら治るから」と言われ、ハグしてもらいました。
病院に行ったことで気持ちも少し落ち着いてたし、本当に旦那にハグしてもらったら気持ちも穏やかになったので薬は1つも飲まずに捨てました。
その後も涙が止まらず苦しくなることもあったし、長いこと気持ちが沈んでた時に旦那から「何が不服なんだ!」とキレられることもあったけど、病院には行く気にはなれなかったです。
私は結構、疑い深い性格。
心療内科だけでなく、お医者さんにかかって『患者を金儲けの道具としか思ってないな』と思うことがあります。
もちろん、良いお医者さんもいるし、そういうお医者さんにかかったこともあるんだけど、自分自身が診察に納得できないとそう思ってしまうんですよね。
これは、鬱が治ってからの話なんですが、私の友達の彼氏も心療内科医。
友達からのLINEを診療時間内でも返すんです。
私も友達の彼氏とはTwitterで繋がってるけど、診療時間と思われる時間でもTwitter内でリプしたり、いいねしている様子を見て『医者ってほんと適当』って思いました。
とくに心療内科は苦しくて、辛くて、藁をもすがる思いで来てる患者さんばかりなのに、患者の話を適当に聞き流して薬出すわけでしょ。
鬱の薬って、セロトニンを増幅させる薬しかないと聞いたことがあります。
結局、出す薬は一種類だから問診なんていらないのかもしれません。
だけど、酷すぎますよね。
案の定、友達の彼氏の病院のグーグル評価は2でした。
「先生、話をちゃんと聞いてくれない」とか書かれてた。
そうだよね、患者の話聞きながら自分の私用してるんだもん。
『今思うと』ですが、血液検査の結果が陰性で鬱じゃなくても、患者が「苦しい」と言って来ているなら薬を処方するもの一つも診療だと思います。
相談事もそうだけど、正論を言うことが必ずしも良いわけではない時ってありますよね。
一番大事なのは、苦しんでる人に寄り添ってあげることだと思います。
だから、私が行った心療内科は悪い病院なわけではなかったのかもしれません。
ただ、私の性格には合わなかった。
もし、病院に行くと決めた人にアドバイスするなら、『カウンセラーがいる病院』がいいと思います。
鬱は体調からくるものもあるかもしれないけど、やっぱり心が弱っていてなる方が多いと思うんです。
でも、自分が何に対して悩んでいるのかわからない人も多い。
実際、私も当時はわからなかった。
今、鬱っぽい症状の友達がいますが、その子も「やる気が起きないし、常にだるいけど何が原因かわからない」と言ってました。
根底には必ず原因があるはずなんです。
いくら胃腸薬を飲んでも、腐っているものを食べ続けていたら治るわけないですよね。
それと同じで、原因を排除することが大切なんじゃないかと思います。
自分でもわからない原因を、時間をかけてカウンセラーさんと話すことで鬱脱出の近道が見えるんじゃないかと思います。
克服するまでにしたこと、克服するまでの期間
気持ちが安定するようになるまでしてみたことです。
このようなことをして鬱々した感情から徐々に抜け出せたし、自分がなぜこのような状態になってしまったのかも知ることが出来ました。
人に話を聞いてもらう
まず、1番にしたことはこれです。
人に話を聞いてもらうこと。
一回目のひどい鬱症状になった時は、女友達とランチしながら「倦怠感が抜けない。気分が上がらない」なんてことを話したりしてました。
友達は「夏休みブルーの後だからね。みんなそうだよ」と共感してくれて、その時は少し明るい気持ちになれるんだけど、家に帰るとまた振り出しに戻される。(1回目の酷い症状は9月)
人と話すのは気分転換にはなるけど、『誰と話す』かが大事だと思います。
私が徐々に抜け出せたのは、自分のエゴ、ネガティブな部分、弱さなどを出せる人に話を聞いてもらったから。
そして、その人物は経験豊富で綺麗事ばかりじゃなく「それがあなたで、それで良い」「人間、人を羨む気持ちを持っていて当然」と受け入れてくれる人が良い。
『ポジティブが正義』みたいな人いるけど、そういう人より一方向だけでなく様々なものの見方ができ、『ネガティブな感情はあって当然』と達観している人物がいいと思います。
私には幸い、そんな人物が2人いました。
1人はこのブログにも登場している黒雨さん
続編を書いた前くらい(2回目のひどい症状の時)に久々に理由つけて連絡を取り、泣きながら「聞いてください。私どうしたらいいかわからないです。苦しいです」と連絡しました。
黒雨さんに連絡したのは、若かりし頃にもいろんな相談を聞いてもらってたから。
その時のアドバイスが、すごく中立的だった印象があったんです。
悩みを女友達に話すと共感のみ、男友達に話すと自分の主観のみだったので、黒雨さんに聞いてもらいたくなったんだと思います。
私の場合、『決定的な悩み』があったから人に相談しやすかったけど、何が原因で鬱っぽい症状なのかわからない場合は身動き取れないですよね。
そういう方は、カウンセラーに話を聞いてもらうのもいいんじゃないかと思います。
心療内科に行って薬をもらうのはケースバイケースだと私は思うけど、自分でもわからない原因を知るために誰かに導いてもらうのが早期解決になると思います。
実際、私も黒雨さんと話すことで『自分がなぜこうなってしまったのか』の原因がわかりました。
当時、黒雨さんに聞いてもらった悩みはこれ
こんな悩みで何をほざいてるんだこの女は!
自業自得と思われるだろうけど、ここに至った経緯は『認証欲求の欠如』だったと思います。
旦那はモラハラ、子供たちは手がかからなくなっていき、自分の存在価値が見いだせなくなっていた。
それと、暇な時間も増えたんですよね。
そんな時に認証欲求を満たしてくれる相手が現れ、翻弄されてしまいます。
冷静になった今、よくよく考えると、私はそんなにウブなタイプじゃない。
そこそこ経験もあり、どちらかというと自由奔放に振る舞っていた方。
なのにこの頃、今までの自分じゃないような言動を沢山しています。
私を結婚前から知っている男友達からは「どうしたのたまちゃん?たまちゃんらしくない」と言われるほど、自分の中に眠っているまた違う自分が現れていた時期でした。
黒雨さんと話しているうちに『原因』と『きっかけ』がわかった私は『きっかけ』を排除します。
原因は『家族』だから根深いもので、密接すぎて排除することはできないし、したくなかった。
だけど、考え方一つ、見る方向一つ変えることで、徐々に摩擦が減っていきました。
もう1人の『話を聞いてもらえる人』は毎週通っている英語の先生。
彼女はとってもポジティブ。
でもポジティブが正義とは思っていません。
ネガティブなことも起こりうる必然で、それはもしかしたら自分のためなのかもしれないと変換できる『ポジティブ変換機』みたいな人。
例えば、
『シンデレラは継母や義理の姉に毎日ひどいイジメにあっていた。でもあの時、死んでいたら王子様と出会えなかった』
生きていれば必ず良いことがあるということです。(ちょっとこの例は間違えたかな。。。)
辛い最中にいる時は『それはシンデレラの話であって、私にはそんな未来ないんじゃないか』と思うけど、必ず何かしらの方法で誰だって『自分なりの幸せ』を得ることは可能です。
他にも、旦那に酷い暴言を浴びせられた時も「行動を見なさい」と言われました。
半信半疑ながらも彼女の言う通りにすると上手く回っていくんですよね。
彼女は経験豊富で偏見のない意見を言ってくれる。
そして、パワーがみなぎっている。
自営業でバリバリやってる方はパワフルな方が多い。
そういう『良い気』みたいなのをもらえたのと、週1話せるのも良かったんだと思います。
ま、英語レベルの方は約4年習っているのに、どうかしら・・・ってとこだけど、心が元気になったのでそれで良し!
暇な時間をなくし楽しいと思える時間を増やす
2番目にしたのはこれ。
暇な時間があるから、あれこれ考えすぎてしまうんだと思いました。
『嫌なことを良いことで吹き飛ばそう』と思い、趣味を探してみました。
まず始めたのが、料理教室。
これはひどい鬱症状1回目の後くらいに始めました。
料理教室に行っている時は料理を作るのに集中できるし、レパートリーが増える楽しさもあったけど私には向かなかったです。
なぜって、私は専業主婦でありながら家事がそんなに好きじゃない。
しなきゃいけないからしてるだけな上に、料理教室で習った料理を作っても家族がそんなに喜ばなかったんですよね。
デミグラスソースを使わない時間かかるビーフシチュー作っても、家族はそんなにビーフシチュー好きじゃないし、私もそんなに好きじゃない。
どうせ趣味を始めるんだったら『自己満足ではなく家族も喜ぶ趣味』にしようと思ったのが間違いでした。
相手ありきだと、どうしても反応や見返りを求めてしまう。
料理教室はまあまあ楽しかったけど、やめました。
その次に始めたのが英会話。
英会話を始めたのはリスクヘッジと海外旅行を楽しむため。
リスクヘッジは日本が住みやすい国ではなくなった時に、海外で住む可能性も視野に入れての行動。
英語教室は元々子供たちが習っていて、その時に先生とのやりとりもあり、感じが良い先生だなと思ってここにしました。
今、続いてるのは、上記でも書いたように英語スキル以外のプラスαがもらえるから。
それもあるけど、今でもリスクヘッジと海外旅行を楽しむ目的も変わっていません。
その次に始めたのがバスケ。
家事が好きじゃないのに家事をしなきゃいけない。
「もっと体力があれば、苦痛が少しでもマシになるんじゃないか」と思いました。
ジムに通うことも考えたし、家でエクササイズするのも考えたけど、どうせするなら楽しい方が良いと思って始めました。
バスケにしたのは小中とバスケをやっていたから。
旦那には普通の状態だったら反対されただろうけど、中度の病み気味だった時に「やるから!健康のために」と有無を言わさず始めました。
結果、久々のバスケは楽しかったし、20代の友達ができ飲みに行ったり、恋バナ聞いたりとバスケ以外の交流もでき心も体も元気になりました。
だけど、その後コロナが始まり体育館閉鎖で、できない日が続きました。
あと、男女混合というのが旦那にバレ、旦那が心良く思わなかったのもあって辞めました。
その次に始めたのがホットヨガ。
ホットヨガを始めた時は中度の落ちる状態になることもなかったけど、バスケも辞めたし体動かしたくて始めました。
まだ1年経ってないけど、本当に始めて良かったと実感してます!
良かった点はバスケと違って『毎日でも通えること』と『対自分』なところ。
『対自分』というのは、バスケだとどうしても組んだチームによって楽しいこともあれば、つまらなくなる時もある。
個人プレーする人だったり、パスくれない人もいる。
だけど、ヨガはポーズができてもできなくても完全に『自分』だから、諦めがつくというかモヤモヤしない。
次行った時にできるようになると、『前よりできるようになった』と成長も感じる。
体的にもバスケは軸足や利き手に負担がかかるし、人とぶつかって怪我することあるけど、ヨガは均等に左右動かすし、その日の調子で自分で調節できるのも良いところ。
鬱はセロトニン不足が引き起こすというけど、私たちの体はホルモンに支配されてるな〜ってつくづく感じます。
セロトニンだけでなく、ドーパミンを出すのも幸せ度が高まります。
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達成しやすい目標を掲げたり、瞑想を行うのも心に良いんですよね。
私はヨガする時は始まる20分前にスタジオに入り、ストレッチをした後、仰向けになって体を休めます。
これから始まるヨガレッスンのために体を休めていたのですが、その時に頭の中にいろんな感情が浮かんでくるんです。
それを客観視することで気持ちが落ち着くようになりました。
偶然、こんな行為をしていたんだけど、後で調べたら知らず知らずのうちに『瞑想』していたんです。
瞑想もメンタルヘルスに良いと言います。
私自身もその良さを実感しているので、ハードルが高いように見えるけど、携帯を見る時間を少し減らして自分の呼吸や自分自身を見つめるのも良いと思いますよ。
瞑想は大きく3種類あります。
私が知らず知らずにしていたのは『ヴィパッサナー瞑想』
どうやら高度な方だったらしいです。
悩み事がない時は、マインドフルネス瞑想を勝手にしていました。
瞑想の種類と瞑想方法↓↓
呼吸を深くするだけでもリラックス効果はあると思います。
瞑想が難しいと思うなら、深呼吸する時間を作ってみてください。
呼吸は緊張状態や、苦しい時には浅くなってます。
リラックスしてる時は、無意識でも呼吸が深くなっているもの。
『鶏が先か、卵が先か』理論で、リラックスを促すために呼吸を意識してみるのも良いと思います。
私の場合、改善に役立ったと思った習い事は『英語』『ホットヨガ』
他にも『ストレスのない人とのおしゃべり』『心がまっすぐで素直な人の感性に触れる』『旅行』『食べたいものを食べたい時に食べる』など、心が安らかになることを意欲的にしました。
『心がまっすぐで素直な人の感性に触れる』は、とある方のメルマガを読んでます。
昔、はてなブログで交流のあったmintoさんのメルマガは、彼女のまっすぐさが出ていて、私もそうなりたい!とパワーがもらえます。
綺麗事だけじゃなく、凹んだことや上手くいかなかったこと、もちろん嬉しいことの報告もあって、どの角度から見ても素敵な女性だなと思える。
『このメルマガ書くの勇気いっただろうな』と思った時はお返事したくなるけど、返事の仕方がわからなくてただただ受け身な状態で読んでます。
『旅行』はいろんな刺激がもらえるのでリラックスだけでなく、意欲にも繋がっているんだと実感してます。
なかなか、鬱の状態が深いと『これがしたい!』が浮かんでこないと思います。
私も自分史上最悪な時は、泣いて自暴自棄になることしかできませんでした。
そんな時は、同じ鬱の悩みを持つ人の書き物に触れてみたり、誰かと話してみたり、カウンセラーを頼ってみたりすると気持ちが少しでも楽になると思います。
ただし、話す相手は間違えると余計に傷が深まります。
もし友達と話すなら、原因がわからなくても『今弱ってる』ということは伝えた方が良いかもしれません。
あなたがどんな状態かわからないと、悪気なくプレッシャーになる言葉を告げるかもしれません。
自己満できることに努力する
『楽しい』と思えることを私はいくつも見つけました。
楽しいことは何個あっても良いと思います。
実際、私は旅行が好きでホテルステイを月1してたことがあります。
その時、正直、飽きてしまったこともあるんです。
もし1つしか楽しいことがなければ、その楽しみを失ってしまったらまた暗い気持ちに戻される。
だから、少しでも「これやりたい!」と思ったことは、どんどんやった方が良いと思います。
興味持ったのにハマれないこともあるので、気持ちが追いつくなら色々トライしてみてください。
そこで大事なのは『自己満で楽しめること』
私が自己満じゃなく始めて、はまれなかったのが『料理教室』
家族の笑顔も想像してしまったんですよね。
その結果、自分の期待通りじゃなかった時に、また気分が落ちてました。
だから、人が絡む楽しいことより、自分本位の完全自己満の「自己満だけど何か!?」くらいのものが他者の目も気にしないし良いと思います。
自分にした努力はちゃんと自分に戻ってきます。
運やボーナスはありません。
でも、対人の努力は思った通りにならなかったり、努力がまんま返ってこない可能性も高い。
期待値を低めろと言われても、『こんなに努力したのに・・・』と虚しくなってしまいます。
その代わり、少しの努力でも大きく反響を得れる時もあるのが対人への努力。
良くも悪くも予測不可能なんですよね。
それに心躍らされるから疲れるんです。
私が自己満で努力してるのは『健康』に関すること。
ホットヨガもそうですが、24時間断食もしています。
24時間断食は1年経過しました。
効果としては、太らない体を手に入れたことと、アレルギー体質の緩和。
ヨガで体幹鍛えたり、たまに筋トレしてるのもあり、腹筋もうっすら割れています。
何が自己満なのかというと、歳のわりには若く見えるスレンダーボディ。
あ、でも残念ながら胸はないので、ナイスバディではありません。
よく「細いね」「スタイルいいね」「よく食べるのに全然太らないよね」と言われます。
モデルのお仕事をしてるならまだしも、ただの一般人だから完全自己満。
ですが、私はこの体をキープするために努力し、その成果を褒めてもらっています。
あと、健康でいることは心にも体にもいいんですよね。
断食はやり方を間違えたら、心も体もボロボロになると思うけど、ちゃんと定期的にすると腸内環境も良くなったし、代謝も体温も上がったし、心も体もデトックスできます。
ホットヨガも汗をかく気持ちよさ、筋肉の勉強になったり、そこで美意識の高いお友達ができたり、相乗効果を感じています。
具体的にお金が発生したり、何か得するわけではないけど、この間、娘の参観日に行って「〇〇ちゃん(娘)のお母さん、美人だよね〜」という言葉を6人からいただきました。
「そんなんで何喜んでるの?」と娘や旦那には言われるけど、なんでもいいから人から褒められるのは嬉しいものです。
私の鬱の原因は認証欲求が足りていなかったので特に。
体型を維持するための努力は誰に褒められなくても自分で実感もするし、それを同じように認めてくれる人がいる。
たったこれだけだけど、自信につながるものなんです。
もう一つ自分への努力で、資格の勉強をしています。
10月に試験を受けるのですが、まだ受かってもいないし、受けてもいないけど勉強が楽しいです。
確実に昨日とは違って知識がついている。
この資格がまた、自分の仕事にも活かされるので、受かったらまた自信につながると思っています。
資格も自分自身の努力。
正誤がはっきりしていて、勉強した分だけ合格に近づく。
私はブログも書いているし、ブログを書くのも好きです。
これも自己満の世界だけど、ブログに努力すると疲れてしまうのがわかっています。
ブログは読み手がいてこそのもの。
対人なので、翻弄されちゃうんですよね。
記事がバズったこともあるけど、意図的にバズらせるのは難しい。
それに、本業は専業主婦。
第二の仕事が名だけの代表社員。
ブログを他のことそっちのけで書くのは旦那があまり良く思っていないのもあり、ブログで努力して成果を得るのは難しい現状です。
いくら自己満で努力すると言っても、家族が嫌がる顔を見ながら貫き通すのは、私は違うと感じました。
自己満と言っても、自分の属性や一番守りたいものを軸にすることも、必要不可欠な要素なのだと思います。
鬱克服までの期間
3年かな・・・
心療内科に行って薬をもらった時が始まりだと考えて、悲壮感に打ちひしがれなくなるまでは2年半〜3年だったと思います。
ちょいちょい、落ちることもありますよ。
だけど、『訳もわからずただただ悲しい』という状態は無くなりました。
悲しいと思う時は必ず原因があって、それがわかるからどうすればいいのか考えることができます。
ここ半年は、本当に調子良くて嫌なことがあっても、長引くことなく気持ちを整理できるようになりました。
ここ半年調子がいいのはヨガのおかげで、瞑想のおかげかな?と思っています。
鬱を克服できて得れたのは処理能力
訳もわからず苦しくなり、涙が止まらない。
やる気が起きなくて何もかもから逃げ出したい。
と思っていた時は、なぜ自分がこんなふうに思ってしまうのかがわかりませんでした。
正解なのか不正解なのかはわからないけど、この原因は『認証欲求が満たされていなかった』からだと自己分析しています。
実際、旦那と仲良くしている時はそういう気持ちになることはありません。
結局、専業主婦歴が長い私は、旦那の評価が一番気になっていたんだと思います。
旦那は言葉がキツく、私に厳しいですが、そういう時のパターンも見えてきました。
仕事でしんどい時、体調が悪い時はあまり近寄らないようにしたり、お願い事しないなど、自分の気持ちが低下する原因になることは即つぶす。
きついジョークなども言ってきたりするけど、自分の機嫌がいい時なら流せます。
なので、常に自分を楽しい状態に持っていくことを心がけています。
これも旦那が本当に悪人で、正真正銘のモラハラ男だと判断したら、原因を潰すという意味で離婚していたと思います。
なぜ旦那がこういうことを言うのかを分析しつつ、こうなるパターンがわかってからは摩擦は減っています。
最近、友達と喧嘩しました。
その時も凹んだけど、なぜこうなってしまったのかを分析することと、『やるだけのことはやってそれで通じなければしょうがない』と思うと気持ちが楽になりました。
残念だけど、いくら自分が頑張っても届かない相手っているんですよね。
届かない相手なのかもしれないし、今は届かない状況なのかもしれない。
それを無理になんとかしようと思うのではなく、今の状況を受け入れ自分を守るのも大事だと思います。
いくら伝えたって伝わらないのに、そこに努力するのは消耗するだけ。
悪く言うと、自己防衛のための損切りが早くなったのかもしれません。
「私、処理能力が高まったんだと思います。その反面冷たくなってるかもしれない」と英語の先生に言ったら「自分を守れない人は人も守れない」と言われました。
もっと私に余裕ができたら自分を守るだけでなく、人の痛みに寄り添った行動ができるのかもしれません。
でも、今の私は自分の気持ちを穏やかに保つのに精一杯。
言葉が届かない相手や、自分自分で理解してくれない相手と仲良くできるほどの包容力は持ち合わせてません。
鬱になる人は自分より、相手に気遣う優しい人が多いような気がします。
そして、何かの本で読んだのですが、『日本人は本当に大切な人に気を使うのではなく、他人に気を使う』と書いていました。
本当に大切な家族には『甘え』や『許してくれるだろう』という気持ちがあって、横柄な態度を取ったりします。
他人である友達や上司や部下に気を使う人多いですよね。
なのに、気を使っても届かない。
だって、あっちはそんなにあなたのことを大切と思っていないから。
そんな人たちに気を遣っても何も返ってこないどころか、ひどい仕打ちを受けることもあります。
見返りを求めてすることじゃないけど、それでは消耗して当たり前ですよね。
大切な人になら思ったような反応がなくても『したいからしたんだ』と割り切れます。
本当に気を使うべきなのは他人ではなく、自分自身で、大切な人なのだと思います。
まとめ
「私はあの頃、鬱だったかもしれない。いや、鬱だったんだと思う。原因は認証欲求が満たされてなかったからだと思う」と、鬱の息子と6年間付き合っている黒雨さんに言ったら「原因がわかるなら鬱じゃない」と言われました。
心療内科では『鬱』と判断されたけど、鬱の身内と接している人には違うと言われます。
私はセロトニン数値も測っていないし、自殺未遂もしていない、人に身体的危害も加えてない。
いわゆる、重度の鬱症状がなかったので、本当に鬱だったのかはわかりません。
だけど、お風呂に入るのも億劫だった頃もあった。
食欲がなかったこともあったし、食べても体重がどんどん減っていく時期もあった。
寝れないこともあったし、呼吸困難なるくらい泣きじゃくったこともあった。
お酒で全てを忘れたいと思うこともあった。
生きてる意味あるのかなと思ったこともあった。
落ちている状態だったのは確かでした。
それでも、話せる人がいて、こんな私でも受け入れてくれる人がいた。
なぜ、こんなに気持ちが沈むのか原因もわかった。
毎日を楽しく過ごすために、遠回りしながらもたくさんの『初めて』をしてみました。
鬱になる原因は体調不良や、神経組織が傷ついたなど、いろいろあるかもしれないけど、セロトニンという幸せホルモンが低下してるのが原因だと言います。
セロトニン数値を上げるために、薬を飲むことは即効性があって悪くないような気もします。
だけど、重症化していないなら『楽しい』と思えることやリラックスを心がけるだけで、治る病気なんじゃないかなとも思います。
私の周りは、鬱になったことがある人が多いです。
なぜ、そういう友達が多いのかと考えてみました。
私はまっすぐで正直な人が好きです。
男女ともに、そういう人に惹かれます。
要領悪くて、自ら貧乏くじ引きに行っちゃうタイプの根が優しい人。
なのに、能力が高く、バリバリ仕事してる人が多いかもしれません。
仕事も忙しい。そしてズルができない。
自分を守るより、人に気を使う。
これでは心が疲れてしまって当然だよなと思います。
仕事の上では成功しているから、何が原因で鬱っぽい状態なのか本人もわからない。
出来てしまうから周りに頼られて、頼る相手がいないというようにも見えます。
人に頼るって誰でもいいわけじゃないし、友達がいても配偶者がいても、自分の根底の悩みを話せる人は別なこともあります。
自分の弱い部分を出せる人がいないなら、カウンセラーに話を聞いてもらうのもいいかもしれません。
鬱から脱するために、できる限りのことをやってるのに前進してる感じがしないと、何もかもが無意味に感じるかもしれません。
ですが、確実に少しづつでも状況は変わっていきます。
明けない夜はないものですよ。
私は自然と『認知行動療法』や『行動活性化療法』をやっていました。
カウンセラーを通し実践するのが望ましいかもしれませんが、取り入れてる病院が近くにないのならご自身で実施してみるのも良いかもしれませんね。
薬のように副作用がないので取り組みやすい方法だと思います。
行動認知療法とは↓↓
行動活性化療法とやり方について↓↓
https://www.hayashi-kokoro.jp/wp-content/uploads/koudoukassei.pdf
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